カタカムナ文明とは?いつどこで発展したのか解説

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「カタカムナ文明って、何?いつ頃から存在していたの?」

このように、いまだに多くの謎が残るカタカムナですが、いつ、どこでどんな文明が栄えていたのか、詳しい内容を知りたくなる人も多いようです。

少しでも、スピリチュアルに興味がある人なら「カタカムナ」と言う言葉を聞いたり、惹かれたり、自然と導かれたと感じる人もいるのではないでしょうか?

今回は、カタカムナ文明について紹介していきますので、ぜひ参考にカタカムナについて深く学んでくださいね。

目次

カタカムナ文明とは?

カタカムナ文明とは、現在のところ謎が多く、全容解明されているわけではありません。

有力な説としては、カタカムナ文献より、縄文時代にアシア族と呼ばれる民族たちが哲学体系を取り入れ、独自の高度な技術を駆使していたと言い伝えられています。

ただ、現在ではカタカムナ文献は発見されておらず、カタカムナ文明を証明できる遺物は残されていません。

現在、カタカムナ文明についてわかっていることは、カタカムナ文献にあるとされる「カタカムナ文字」や「カタカムナウタヒ」などがあったということです。

ただし、カタカムナ文献などは公的な学術学会でも認められていません。

このように、いまだ多くの謎の残るカタカムナ文明に、多くの人が神秘的なものを感じるのでしょう。

カタカムナ文明はいつどこの国で発展した?

カタカムナ文明は、縄文時代の超古代文明と呼ばれ日本で発展したと言われています。

カタカムナが発見されたのは、1949年(昭和24年)に楢崎皐月(ならざきこうげつ)と言う電気技術・物理学者が、兵庫県にある六甲山(金鳥山)で出会ったとされています。

そこで、平十字(ひらとうじ)と名乗る猟師に出会ったことがきっかけで、その父(宮司)である人物を紹介されたとあります。

父である宮司は、楢崎氏にご神体である巻物の「カタカムナ文献」を書写しても良いと許可したことでカタカムナ文献が発見されたと言われているのです。

この、カタカムナ文献が発見された神社は、現在ではカタカムナ神社(保久良神社)として多くのファンの聖地として知られています。

カタカムナ文献の内容とは?全部で何首ある?

カタカムナ文献の内容は、カタカムナ文字と呼ばれる円と直線で立体的で幾何学的な形をした文字から成ります。

このカタカムナ文字は、中心から外側に渦を巻くように書かれているのも特徴で、「カタカムナウタヒ」と呼ばれる全部で80首の歌が存在しています。

カタカムナウタヒは、日本で祀られている神様が登場するほか、宇宙や自然の摂理、製鉄法、稲作の農法、石器・木器製作法、医学、哲学など幅広い内容が記されているようです。

第1首は「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」から始まります。

有名な第5・6・7首は、「ヒフミヨイ マワリテメクル…」と私たちでも聞き馴染みのある数を表す言葉が出現したりします。

また、動画などでも第5・6・7首はオリジナル音源で歌われるなど、幅広く親しまれています。

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